2011年4月30日土曜日

今日で4月も終わり


長かったような、寝不足と戦いながらやる事に追われるうちにあっという間に過ぎたような1ヶ月でした。

もともと、このプロジェクトはAPF通信社の山路さんが4月1日の金曜日からの週末を利用して開始するプロジェクトのハズでしたが、3月30日水曜日の夜に1日から立ち入り禁止になるかもしれないとの情報が入り、急遽プロジェクトを前倒しすることになりました。私も突然参加することになったのですが、深夜、家にある折りたたみケージとフード、リードなどなど捕獲に必要なものを車に詰め込み、早朝APFの皆さんと合流し出発となりました。

思えばもうこの時から政府の警戒区域設定などの動物無視の避難政策に振り回されていました。

南相馬から入り浪江町や小高、大熊町など救出依頼のあった家々を回りました。APFの皆さんは既に何度も20キロ圏内に入られていたので道案内をしてくださいました。しかし、道路はひび割れたままになっていたり土砂で覆われている場所もあるため、我が家の2WDの車で通るのは大丈夫かな~とヒヤヒヤすることも多々ありました。

とにかくゴーストタウンになった町と取り残された動物たちが不憫でなりません。

一番初めに救出に向かったのは、キャバリアのプリンちゃんでした。
山路さんが「このお宅は、原発から9.5キロのところです。我々もまだ10キロ圏内には行ってませんが、どうしますか」と私に尋ねてきました。私は何も悩むこともなく「行きましょう」と返事しました。
今思えば、原発の怖さとかよりも、とにかく生きているのであれば助けてあげたい一心で。
ドアを開けるときはドキドキしました。震災から、3週間、餌がなければ間に合わなかったかもしれないと思いましたが、嬉しそうに尻尾をフリフリしてるプリンちゃんを抱き上げて、嬉しくて涙が出ました。

プリンちゃん、場所がなくって小さなケージに・・・ごめんね。
それから、猫の保護にも行きました。(ハナちゃんはこのとき保護、詳しくはまた次回投稿します。)

他の団体もまだあまりいない時期でしたので、当然救出は一日では終わらず、2台に車に入る限り犬を詰め込みましたが、それでも放浪犬がいて、泣く泣く置いてきた犬も居ました。必ず迎えに来るからねと言って、置いてきた子のことは今でも忘れられません。慣れている子は、その後たくさんのボランティアさんが入ったので、救出されてますようにと思いたいけど・・・。このときは、「トラックと、もっとケージが欲しい~」と叫んでいたものでしたね。


チロとチロの友達(仮名)
ビーグルじいさんと、受け口君

後ほど飼い主さんがわかったベル


子犬



南相馬のビジネスホテルに急遽宿をとり3泊することに・・・最後の3日日曜日には、山路さんとラジオ福島に出演することになり緊張しまくりましたが、結局、家に着いたのは月曜日の明け方でした。普段はきれいな都会で走る我が家の車もひどい状態。

ショックなのはiPhoneの画面が割れたこと。まだAppleに電話できてません・・・

保護すればその犬や猫のその後の手配が待っていて、眠さと戦いながらあちこち連絡とり、たまった家事・我が家にはたくさんの保護犬猫がおり、被災地より忙しいかもと思いながらへとへとになったのですが、スタミナドリンクをがんがん飲んで気合いを入れまくりました。


子犬の母さん?

この後も何度か出発したので、たくさんお話したいエピソードありますが、それはまた今度時間ができたときにご報告します。


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